ユーザエクスペリエンスのためのストーリーテリング

“ストーリーテリング” について考えていること

昨年末の事になりますが、私も参加しておりますユーザエクスペリエンスデザインの実践者コミュニティ”UX Tokyo“の有志の皆さんと翻訳作業を続けてきた書籍『ユーザエクスペリエンスのためのストーリーテリング』が丸善出版様より無事刊行の運びとなりました。

原著は、UXデザインに関する実務書を数多く出版しているRosenfeldmedia社より2010年4月に発刊された”Storytelling for User Experience – CRAFTING STORIES FOR BETTER DESIGN“です。UX Tokyoの脇阪さんがRosenfeldmedia社にコンタクトをとり、別の書籍についての翻訳許諾の相談をした際に、刊行書籍の中で最も売れているのがこの本だから、まずこれを訳してみてはどうか、と社主であるLouis Rosenfeld氏から逆にご提案をいただいたのが始まりでした。

原著の紹介を受ける以前から、『ストーリーテリング』という言葉を目にする機会は特にオンライン上で増えてきていると感じていました。その多くは、経営者の視点からビジネスストラテジーやビジョンを従業員に浸透させる手法、ストーリーを活用して商品に価値を付与する方法といった、どちらかというとエグゼクティブ向けの記事や書籍紹介だったように思います。当時、個人的にはストーリーテリングという言葉に対して、コンサルタントやビジネス書籍の出版社・著者が産み出したプレゼンのためのテクニックあるいは、よくある消費材としての手法概念のような印象を持っていました。正直なところ懐疑的だったと言っても過言ではありません。

しかし翻訳プロジェクトの話が立ち上がり原著を読んでみると、私のストーリーテリングに対する第一印象は間違いだったと気づきました。理解を深めるために参考となる情報を色々と調べていくうちに、UPAが2006年にストーリーテリングとユーザビリティを主題にしたカンファレンスを開催していたこと、また原著者のお一人であるWhitney QuesenberyさんはUPAでも活躍されている方だという事を知りました(恥ずかしながらどちらも存じ上げませんでした)。

翻訳を進めていく中で、ストーリーテリングは決して陳腐化する事なく、誰もが身につけるべき普遍的なリテラシーになるかもしれないと感じました。以下に私が理解した事を記しておこうと思います。(あくまで個人的な見解です)


ストーリーテリングは手法ではなくスキルです

手軽に実務に落とし込める手法の獲得を期待してストーリーテリングを紐解くと、少し戸惑うかもしれません。ストーリーテリングそれ自体は手法ではありません。訓練を通じて身につけるスキルです。身につけたスキルを活用して実務手法に持ち込む事への可能性は大いに開かれていると感じますが、ストーリーテリングという行為が効果を発揮するか否かは、あくまでも訓練を前提としたスキルに基づくという認識が重要です。

誰もが日常的にストーリーテリングをしています

今日あった出来事を家族や友人に話すこと、耳にした噂を友達に知らせること、複雑な事柄の理解を促すためにメタファーを用いて説明すること、子供のしつけのために怖い例え話をすること、TwitterやFacebookで近況を報告すること・・・。実は誰もが、毎日のようにストーリーテリングをしているのです。あまりにも当たり前すぎて、あえてストーリーテリングという言葉をその行為に当てて焦点化しなければ気付けないほどに、私達は日々、ストーリーテリングをしています。「えっ」と思われるかもしれませんが、本当にごく自然に、誰もがストーリーテリングのスキルを日常的に発揮しているのです。では「話すこと=ストーリーテリング」なのか、と問われると、はい、とも、いいえ、とも言えるでしょう。

ストーリーテリングの本質はイメージの想起です

ここまで確信めいたことを書いてしまってよいのか逡巡があるのですが、あえて明言しておこうと思います。ストーリーテリングの本質とは、語り手がストーリーという手段を用いてコンテクストを共有することにより、聞き手にその追体験やイメージの想起を促し、その結果として感情の変化や共感、発想、行動が生み出されることにあります。「話すこと」と「聞くこと」の背後で常に機能しているのは、誰もが生得的に持っている言葉をイメージに変換する力、詳細を補完しようとする想像力、そして言葉以外のノンバーバルなメッセージを受け止め解釈する能力なのです。

コンテクスト、ストーリー、イメージ、リアリティ

ストーリーを構成する重要な要素はコンテクストです。コンテクストの粒度によってストーリーの詳細度も大きく影響を受けますし、聞き手の中に生成されるイメージ、そしてそのリアリティも大きく異なるはずです。全ては連鎖しています。聞き手に伝えたいメッセージ、すなわちイメージとして想起してもらいたい事柄にいかにリアリティを与えることができるか、そのスキルこそがストーリーテリングの要だと考えます。想起されるイメージにリアリティがあればあるほど、生み出される感情の変化や共感も大きくなるのです。

リアリティを生成するストーリーのパターン

ストーリーテリングによって想起されるイメージに効果的にリアリティを与えるためのストーリーのパターンが明らかになっています。これらのパターンには、時間軸に基づく喜怒哀楽の感情や好奇心の制御、不安の生成と解消によるカタルシスの擬似体験など、イメージのリアリティを体験レベルにまで高める仕組みが埋め込まれているようです。

白いストーリーテリング、黒いストーリーテリング

ストーリーテリングというキーワードでweb検索をしてみてください。様々な切り口でストーリーテリングを題材とした情報が手に入ります。イメージの力を活用するのがストーリーテリングの本質ですから、使い方によっては白くも黒くもなりえるでしょう。この事にあまり深入りするのは避けておきますが、ハサミやナイフと同じように、使い方を誤ると危険なスキルであることは事前に認識しておく必要があると感じます。訳書でも、一つの章を設けてユーザエクスペリエンスデザインにストーリーテリングを活用する上での倫理的な注意点について記述がされています。

ユーザエクスペリエンスデザインとの親和性

ユーザエクスペリエンスデザインにおいて私達が日々苦闘している事の本質は何なのかを考えた時、私は全て”コンテクスト”というキーワードに集約できるのではないかと思います。ある人の、ある時点における、ある状況のなかで経験したこと・すること、そのときその人の中でどのような情動が生まれ、結果として何がもたらされたのか・・・。私たちはこの、あるコンテクストにおける人々の気持ちと行動の断片を様々なリサーチ手法を活用してかき集め分析することでパターン化し、多くの人々が経験し共感するファクトからインサイトを見出して、隠れたニーズを同定したり製品やサービスのデザインに活かしています。集めることのできるコンテクストそのものは、行為の瞬間を切り取る微視的なものにならざるを得ませんが、タイムスケールを大きく取ってロングタームで人々が経験する事を記述しようとしたとき、ストーリーが効果を発揮します。時系列で変化するコンテクストとそれに伴う情動をストーリーを用いて記述し、それをストーリーテリングのスキルによって効果的に聞き手に追体験してもらうこと、これが私達の翻訳したユーザエクスペリエンスのためのストーリーテリングの骨子であると私は考えています。


ストーリーテリングをスキルとして身につけるためには、どうしても訓練と実践の場が必要になりますが、HCD-Net理事の浅野智先生のお声がけで、これまでに2回ほど、ストーリーテリングについてのワークショップをお手伝いさせて頂きましたので、その様子が分かるページへのリンクをご紹介しておきます。

以下は2012.02.25のHCD-Netでのワークショップで用いたスライドです。このワークショプの私の担当部分で、是枝裕和監督の映画作品「ワンダフルライフ」をご紹介しました。私自身がこの映画を知ったのは、アクションリサーチに関する書籍の中で『社会構成主義と人生の物語』として丸々一章がこの映画分析に割かれていたことからなのですが、実際に観てみましたところ、映画全編がストーリーテリングによって構成されており、またストーリーの主題も非常に胸を打つもので、HCDとストーリーテリングを理解する上で本質的な部分をまさに『イメージ』し『追体験』できるとてもよい例だと感じています。まだ未見の方は、ぜひ一度ご覧になってみてはと思います。(スライドの一部のページは都合により削除されていますが、ご了承ください)