AXISフォーラムでの石井先生

Tangible Bitsと私

posterousより転載

2010年1月15日、AXISギャラリーで行われたMITメディアラボ石井裕教授の講演会に参加して想起した事を記しておこうと思います。Twitterでは「どこぞの馬の骨」という立場でつぶやいていますが、そろそろ自分の立ち位置をうすぼんやりと明らかにしてもよい頃合いなのかな、という気もしていて、半ば自分語りのポストになりますが、気持ちの整理の為にも書いておくことにします。

私と石井先生の出会い(といっても私が一方的に憧れているだけなのですが)は1999年ですから、もう11年も前になります。当時まだ大学生だった私は、生まれたてのGoogleを使って進学先を選ぶ為の情報収集に勤しんでいました。NTTのメセナだったICCが情報発信源となってメディアアートがにわかにクローズアップされてきた時期で、IAMASが岐阜に設立されたばかりの頃だったと思います。MITメディアラボの存在を知ったのもその頃の進学先選びの中でだったと記憶しています。

当時の私の専攻は認知心理学で(それ以前に電気電子工学分野をドロップアウトしてたりもするのですが)、今日ではデザインの分野でも普通に使われる言葉になった「アフォーダンス」(生態心理学)や「教授・学習過程論」が専門の、いわゆるギブソニアンの教授の研究室に所属していました。私の専らの興味の所在は状況論と呼ばれる分野で、特に創造性に関わる活動や知的活動のプロセスの成り立ちに強い関心を抱いていました。当然そういった活動を支える道具であるコンピュータも関心領域の中心にドシンと存在していて、ドンノーマンを始め、アランケイ、ブレンダローレル、ルーシーサッチマン、テリーウィノグラードといった、その界隈では有名な人たちの著書をもそもそと読んで、道具であるところのコンピュータと人との接点、インターフェースについて考える事こそ次に進む道なのかな、などと生意気にもぼんやり思っていたわけです。幸運が重なって美術大学の大学院にまだ設立されたばかりの情報デザインを学べるコースがある事を知り、トントン拍子でそこへお世話になることになりました。

美大へ進学し自分の研究テーマを決めるにあたって、知的活動の道具としてコンピュータを考えた時、画面とマウス、キーボードの3点セットがいかにも個人作業を前提とした道具に思えて、それはそれでとても便利なのだけど、もっとたくさんの人が同じ場所で同時に使えて、見て考えて操作できる道具立てにならないものか、というようなことを考えていました。このブログポストを起こすために色々自分のデータをさらっていたら、その当時考えていたアイデアボードの画像が出て来たので、お恥ずかしいですが貼付けておきます。もうすぐ世の中に溢れるらしいタブレットの 類いに良く似たものですが、イラストが痛々しいですね。もう10年も前の学生時代の落書きなのでご容赦下さい(笑)。

ここから発展して、そもそもテーブルそのものがコンピュータだったらどうなのだろう、という発想をしました。そこに操作子がたくさんあって、人々がそれをとりかこんで考えたり議論したりする環境が作れたら・・・。そんな事を思って作ったプロトタイプが次の画像です。動画像認識の技術を使ってカラーキューブをポインティングデバイスにできたら面白い事に使えるプラットホームになる んじゃないか、そんな事を当時考えていました、といっても私はた いしたプログラミングは出来ないので、あのころ美大生がよく使っていたDirectorとそのXtraで一生懸命実装して、光量をコントロールした環境でかろうじて動く程度のデモだったのですが。これをベースに何かしらのアプリケーションを組み立てることができたらどうだろう、そんな事を妄想して、それはそれは幸せな季節でした。

学生時代の作品

大学院での研究中間発表でこれを見たある教授に、もっとすごい事をちゃんと研究している人たちが東京に来て展覧会をやるから見に行ったら良いと教えて頂き、初台のICCに友人達と出かけました。それが、石井先生のグループの「タンジブル・ビット」の展示でした。今から10年程前の事です(よかった、やっと石井先生の話になった)。

今でもその時の感動と慟哭は鮮明に憶えています。自分がやろうと思っていた事のずーっと先の事をさらりとやってのけている人たちがいる。衝撃でした。共感と同時に羨望と劣等感のようなものを強烈に感じて、なんだかものすごくもやもやとした気持ちになりながら、全てのデモをなめ回すように見て触って・・・そうこうしていたら、なんとそこに、石井先生ご本人が登場したのです!
ああこの人の所に行くにはどうしたらいいんだろう、そう思って、失礼にも程があるのですが、いきなり話しかけ開口一番「メディアラボに入るにはどうしたらいいですか?」と質問しました。
そのときの先生の答えは「TOEICかTOEFLでフルスコアが取れたらまた相談してください(ニッコリ)」というものでした。

そこで死にものぐるいで英語を勉強・・・!となれば良かったのですが、あまりにも展示のインパクトが大きすぎて、なにやらぐんにゃりと負けた気分になった私はその後スランプに陥りました。そのあまりの低空飛行ぶりを見るに見かねた美大のある先生がアドバイスをしてくださり、本来のデザインの何たるかを学ぶべく一旦それまでの事は無かったことにして方向転換したのでした。

Tokyo Designers Week 2006

そうこうしているうちにこれまた幸運にもコンピューターや携帯電話も生産しているある総合電機メーカーのデザイン部門に入社させていただき、ユーザーインターフェースデザイナーという肩書きまで頂いて、数年間ほど、顧客企業向けの業務システムのUIデザインや、自社ソフトウェア製品のUIデザイン、ユーザビリティ評価改善活動などの業務を経験させて頂きました。デザイン部門にはちょっと先の事を考える先行開発の業務もあったりして、そこで私はあるプロジェクトに取り組ませていただきました。

そのプロジェクトがどのような物だったのか、そしてこの画像が何なのか、事情があり多くは説明できませんが、たくさんの方たちのご協力のもとに、心の片隅で忘れずに暖めていたアイデアが実現できました。一つのテーブルを囲んで、何人もの人がある作業を同時に行える情報環境というコンセプトは、長い時間を経て予想もしなかった形に姿を変え現実になりました。そのプロジェクトは私が退職したあとにもしばらく形を変えて生きていたようです。

その後いろいろと心境や状況に変化がありお世話になった電機メーカーを退職し、農業とICT関係に注目してタイに行ってみたり情報学系大学院の博士課程進学を企て受験失敗してみたり、上にある画像のプロジェクトでお世話になったデザイン事務所さんの所で短期間インタラクションデザイナー修行させて頂いたり、日帰り温泉の企画職に就いてみたりと、かなりの迷走をしてきました。そしておそらく今も迷走中です。

もうしばらくTwitterでは「どこぞの馬の骨」でいたいので、今何処で何をしているかは、おいおい明らかにしようと思っていますが、石井先生のやってこられた研究とその姿勢は常に私の中で憧れであり、すこしでも近い空気を吸えたらと思いながらこれまで色々と挑戦してきたつもりです。

そして昨日、ついに10年ぶりに、AXISギャラリーで先生との邂逅を果たす事ができました。先生の講演内容のログはいろいろな方がまとめてくださっているので、詳細はそちらを見て頂くのが良いと思います(安藤日記さんが全ログ化してくださっています)。たくさんの言葉に感銘を受けたのですが「協創」「再起」「飢餓」「屈辱」の4つの言葉が今の私にとってのキラーワードでした。

石井先生のサイン

「協創」:これは正に色々な所で言われ始めている組織内でインタプリタとなる素地を持った人の事を指し示していると感じました。エンジニアリングもデザインもコンセプトワークも理解し、それぞれの専門家の橋渡しとなれるようなロール、そしてある部分では専門家以上の能力を発揮できる瞬発力、そういうものを備えた人材が必要なのだそうです。

「再起」:石井先生がMITの教授になるときの条件が、それまでの研究と同じ事は絶対にしない、というものだったそうです。今までの仕事を全て捨てて、新しい事に挑戦した、その結果がタンジブルグループの数々の成果につながっているとのこと。今の私に取って非常に勇気づけられる言葉でした。

「飢餓」:知的な飢餓感があるかどうか。飢餓感を燃料に自分をドライブする。知的なハングリーさが大切だというメッセージと私は受け止めました。

「屈辱」:屈辱はプライドとセット。プライドを失う程の屈辱はエネルギーになる。これも今の私にとって実感できる大きなメッセージでした。

未来にむけて何を残すか。限られた人生という時間の中で一分一秒をどのように活かすか。その真剣な問いと生き方に、改めて圧倒されながら、自分という存在を見つめ直すきっかけをまた頂いた、きっと人生のなかでも、後で振り返ると大きなフックポイントになっているだろう、そんな気付きの得られた貴重な一日となりました。