セミナー Post-User Centered Design メモ

post user centered design

posterousより転載

東京大学i.schoolが韓国・KAISTのKun-Pyo Lee教授を招いてのセミナーを開催、東大在学生以外も参加可能とのことで受講。KAISTでは全ての授業が英語で行われているそうで、本セミナーも英語でのレクチャー。iPhoneのボイスメモで録音していたのだけれど、先日の石井先生の時同様、途中で録音失敗。懲りたので大事なセミナーにはハンディレコーダーを持ち込む事に決めた。受講後すぐにメモをすれば良かったのだけれど、少し時間が経ってしまったので殴り書きのノートから思い出しながら書き起こしてみる。

Rapid popularization of Design and Knowledge

教授が学生の頃は、卒業式ともなるとプロのカメラマンが大挙して大学へやって来て記念写真を撮っていた。その当時は「写真を撮る」という行為そのものが専門性を帯びた難しい作業であり、カメラも専門家の道具として複雑で高価な物だった。しかし今では技術の進化と共にカメラの価格も大衆化して、子供でも簡単にきれいな写真が撮れてしまう。同じような現象がデザインの領域でも今後間違いなく起こるだろう、そのような事態にデザイナーはどう対峙すればよいだろうか、という問い。

ill-fitted to design, failure to customize

欧州や米国中心で発展してきたデザイン方法論は他分野から持ち込まれたものも多く、自国のデザインプロセスにそのまま適用しようと試みたが、文化の違いからうまく機能しない事に愕然としたとのこと。

しきりに教授自身が米国で学んだデザイン方法論について”Brainwashed”というショッキングな言葉を使われていたのが印象的。実情にあわせたカスタマイズのための冗長性が欧州米国式のデザイン方法論には足りなかったという事なのかな?と私は理解した。この問題を解決するために数多くあるデザインメソッドと適用領域/ プロセスのマトリクスを作成して、どのような場合にどの方法を採用するのが効果的か、そこで本質的に機能しているのは何なのか検討と整理を行ったそう。この作業によって、自分たち独自の組み合わせでデザインリサーチがカスタマイズ可能となり、効果を発揮するようになってきたそう。

Who are the Users?

User Centered Designと簡単に言うけれど、一体そのユーザーとはどのような人たちなのか、という問い。時代/文脈によってユーザー像の定義もデザイナーに求められる能力/アウトプットも変化する。従ってデザイン方法論は一 義的に規定できる物では ないという事を分かりやすい例で説 明してくださった(と理解)。

機能中心の時代→物と事の時代→感性を対象とした時代→ソーシャルコミュニケーションの時代・・・それぞれにユーザー像は異なり、デザインプロセス自体も呼応するように変化してきている。

Wearable Video Ethnography

KAISTで考案されたユーザーリサーチ手法の一例。眼鏡型のビデオカメラによる主観視線映像、バッグに仕込んだビデオカメラによるコンテキスト映像、GPSによる位置情報、これらをパッケージとして身に纏い、様々な活動を記録、GISソフトウェア上に同期集約して再生しながら、気になるポイントにワンクリックでアノテーションがつけられるシステムを開発。方法としては従来からよくあるビデオエスノグラフィーやシャドーイングなのだけれど、効率的にインサイトを導出できるシステムとしては画期的だと感じた。ただしこっそり撮影されることにナーバスな日本でこの方法を試そうと思うと色々と問題になりそうな気も・・・。

Photo collect

携帯端末などを用いて複数の人物から同時に「今なにをしているか?」をテーマに写真とテキスト(状況や気分)を送ってもらうことで潜在ニーズの検討を行う方法。これは日記調査やフォトエッセイに近い方法だけれど、大学などだと学生ボランティアから手軽に多くのデータを集められそう。Twitter APIを利用したwebサービスなどにも展開できそうな所感を得た。

Designer → Orchestrator

ソーシャルウェア&Crowd (群衆) がデザインの対象となるのがこれからの時代。潜在ニーズに適合したフレームワークとしてのプラットホームが用意されると、人々はそれを活用して自らが作り手となって必要となる物を生み出し、共有する。このような状況の元でデザイナーに求められる役割とは何か,という問い。

デザインと呼ばれていた作業は”Wish Prototyping”とでも名付けられるようなプロセスに変化する。デザイナーに求められるロールは枠組みを作る事(Frameworker)、可能性を生成する事(Possibility-Generator)、状況を見守る事(Embracer)、即ちOrchestratorである。一方これまでユーザーと呼ばれていた人たちはSource-Emitter, Co-developper, Use-creatorとなり、単なる使い手からSelf relied Contributorに変化していく。

HCD = Ego!

Human Centered Designとはなんとエゴイスティックな言葉だろうか。この世界は人間だけの物ではない。人間中心の視点をより高次に移すことが必要だ。

以上が私のノートに残っていた講演録の要約。

質疑応答では実務経験のある社会人から鋭い質問が投げかけられていた。米国から韓国へ戻ったときにデザイン方法論を持ち込もうとしてコンフリクトは無かったのか?との問い、デザイン方法論と文化差異によって起こる問題は何か?などの質問があり、教授は具体的事例を提示しながら回答してくださった。個人的に面白いと思ったのが、ヨーロッパ圏と韓国でのフォーカスグループインタビューのプロトコルを時間軸で可視化したデータの例。ヨーロッパの人たちは、モデレータが苦労するほど良く喋り、自分の意見を主張するけれど、韓国では最初は発話が少なく、モデレータは逆の意味で苦労する。しかし休憩のタイミングなどで自己開示の機会があり参加者間の共通点が共有されると、とたんに饒舌になり盛り上がる傾向があるとの事。これは日本でもきっと同じような傾向がありそうだなと思った。質的データを取得する際には文化特性の理解がとても重要だという事を改めて感じた。