書籍『メンタルモデル』の刊行にあたって

書籍『メンタルモデル』の刊行にあたって

2014年1月末に丸善出版株式会社様より、書籍『メンタルモデル ユーザーへの共感から生まれるUXデザイン戦略』が刊行されました。私は2011年末頃から、本書の出版企画と翻訳に携わってきました。翻訳プロジェクトは私の拙いプロジェクトマネジメント能力のために、苦労と迷走の連続となってしまい、共同で作業を進めてきた翻訳者の皆様をはじめ、ご協力頂いた多くの方々にご迷惑をおかけしてしまいました。この場を借りて、ご助力頂いた皆様に感謝の意をお伝えしたいと思います。

ビジネスプロセスのすべてに早さと精度が同時に求められる昨今において、特にインターネットサービスやモバイルアプリケーションに関わる業界を中心に、様々なデザイン方法論やサービス概念の可視化手法が世界中で次々に生み出され、それらの解説記事や書籍は以前に比べても少ない時差で日本国内に翻訳・紹介されるようになりました。実務者がキャッチアップしておくべき世界のトレンドも、肌身に感じとれるような潮流が立ち現れてきていると実感しています。

そのような流れの中で、原書の刊行が約6年前の、ある意味「オールドスクール」な書籍を、今こうして翻訳出版するに至った理由を、本書の訳者あとがきから以下に引用させていただきます。


誰のために、どんな新しい価値を、どうつくり、どう届けるのか。ユーザーエクスペリエンスデザインに限らず、ものづくりに携わる方なら誰でも、このシンプルな問いと対峙せざるを得ないのではないでしょうか。そして、この問いの難しさを日々、痛感されているのではないでしょうか。本書は、この問いを解くための一つの方法を示しています。

原書「Mental Models Aligning Design Strategy with Human Behavior」(Rosenfeld Media社刊)は2008年2月に刊行されました。人々の日常行動に対する深い理解と共感に軸足を置き、フィールド調査やインタビュー調査などによって得られる膨大な定性情報の整理・分析と、そこから得られたインサイトをデザイン戦略に落としこむための方法論を、調査対象者の選定方法やインタビューテクニックまでもあわせて詳解した名著として、海外のUXデザイナーに愛読されています。

本書を翻訳することとなった経緯は2011年末にまで遡ります。既刊「ユーザエクスペリエンスのためのストーリーテリング」の翻訳が終わり、引き続きRosenfeld Media社の書籍を日本に紹介していくとしたら、どの本が良いだろうかと検討を始めた際に、まず最初に私の頭に思い浮かんだのが本書でした。刊行から数年が経っており、内容的にはやや古い部分も散見されるのですが、原書の中で語られているテーマはUXデザインのみならず、ものづくりの前提条件を整える上で必要となる、本質的かつ普遍的な事柄に非常に深く触れていると感じていたからです。これは冒頭に述べた問いに対しての、ひとつの回答のアプローチと見ることもできます。

  • 誰のために:
    生成的な調査手法によって、人々の活動を深く理解し可視化することで、誰のためにデザインするのかが、プロジェクトに関わるステークホルダー全体の共通認識として明確になります。
  • どんな新しい価値を:
    人々が価値を感じるポイントやその背景が、メンタルモデルダイアグラムを作成する過程で自ずと明らかになります。その価値観に適合するものを作ればよいのか、価値観そのものを更新してしまうようなアイデアは着想できないかなど、イノベーションにつながる発想のきっかけや議論の土台を作ることができます。
  • どうつくり:
    どのようなサービスや機能、コンテンツが必要で、何が不要か、するべきでないことや避けるべきことは何かを、使い手となる人々から収集した根拠のある情報に基づいて高い精度で意思決定することができます。また人々が利用する上でのコンテクストや流れを考慮して、設計案に落としこむことができます。
  • どう届けるのか:
    ユーザーとの間にどのようなタッチポイントを設け、どのようなコミュニケーションを行えば効果的にサービスや製品の魅力を伝えられるのかを、メンタルモデルダイアグラムによって早い段階から検討することができます。

メンタルモデルに基づくデザイン戦略の方法論が、海外ではどのように活用されているのかを知るひとつの参考として、2013年5月に行われたScrum Alliance 認定プロダクトオーナー(CSPO)研修で講師を務めたジェフ・パットン(Jeff Patton)氏のお話をご紹介します。

アジャイル開発のプロセスの中で、製品計画にあたるプロダクトディスカバリーという活動が活発になってきていること、その活動の中で用いられる、開発するべきものの定義と開発粒度の分割やリリース計画を、想定されるユーザーの利用コンテクストや使用の流れに基づいて行う「ユーザーストーリーマッピング」という手法を考案する際に、メンタルモデルの方法論を非常に参考にしたとのことでした。メンタルモデルの方法論は、現状把握(AS-IS)と将来像の構想(TO-BE)を行う際のどちらにも非常に有用で、その考え方をアジャイル開発のプロセスに適用するために工夫をこらしたそうです。

この「ユーザーストーリーマッピング」の例からも伺い知ることができるように、海外では様々な実践の中にメンタルモデルの方法論が少しづつ形を変えながら、確実に息づいているようです。原書に遅れること約6年、こうして日本語版に翻訳し、お届けできることを大変嬉しく思います。本書が日本発のイノベーションに少しでも寄与できれば幸いです。


本書で述べられている方法論は、冒頭で述べたような実務家向けのトレンドに左右されることのない、本質的なポイントを幅広く押さえています。そして、様々な実務活動の中で応用可能なスケーラビリティを備えています。本書の手法をそのまま適用することよりも、そのエッセンスを深く理解して、ご自身の業務プロセスにどのように生かしていくか、他の手法とどのように結びつけてアウトカムにつなげるかを考える契機となること、そのことにこそ、この本の価値があります。ぜひ、ご一読頂ければと思います。